日々是好日。

つれづれなるまゝに、日ぐらし画面に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

おみくじの不思議

おみくじって不思議。
たまたまなのに要点をついているというか、
現状を本当によく言い当てている。

昔から神社やお寺に行くのが大好きで、そういうとこにいるのが一番心落ち着く性分です。

海外行くと(ヨーロッパだけなんだけど…)やっぱり教会に入ってしまう。
宗教問わず、宗教施設が大好き。

そんな私ですが、2012年からその好き度が本格化してきて、
お守りとか霊験とかおみくじとか…そういうのを本当に信じるというか信用するようになりました。

もともと母が熱心な仏教徒でそういうのを嫌がる人で、
鳥居をくぐったり初詣に行ったりなんかは絶対に禁止でした。
もちろんお守りなんて持ったことなかったし、おみくじなんか引いたことすらなかった。
でも、幼心からそういうのにすっごくすっごく興味があって。
おみくじなんかはこっそり引いてたり…
だけど小さいころから刷り込まれてきたため、好きで神社などに行ってもいわゆるお参りなんかはしてなかった。

そんな中、2012年にある書物に出会って、日本…いや世界の神様っていうのを信じてもいいんだ
それは自分の信仰とは絶対に相反しないって思えて、すごくすっきりした。

うちの宗派は神社の神はすべてわれわれの家来ととらえる感じなのですが、
やっぱり腑に落ちない。たとえそうだとしても、感謝の気持ちと敬う気持ちがなければ
ついてきてくれない。力を貸してはくれない。

だから、お参りして日々のお礼を言って、感謝し続けることにしました。
謙虚に生きる、感謝の気持ちを忘れずに。

そんな心境の変化から、おみくじの解読も変わってきました。
2012年の夏、精神的に追い詰められて京都にあるちょっと特殊なおみくじを引きに行きました。
そこの神主さんに「そのおみくじの言葉は神様からの伝言だよ。それから…神様にいっぱいいっぱいかわいがってもらいなさい。」
といっていただきました。
すごく抽象的で…でも振り返ればやっぱり的を得てる。
人生の教訓にしようって思えました。

ゆだんするとこまることある しっかりきをつけよ

いさまぬこころに光なし にごったこころに神のりなし

という2つ

最初は???って感じだったのですが、これが後から腑に落ちた。
2012年の夏、ケンブリッジに合格もらっていながら語学でみすみすチャンスを逃しました。
はっきり言って、油断してました。どうせ大丈夫だろうって気を抜いてました。
そして入学できず…自分の不遇を人のせいにして、
自分を干した母校をひがんだりねたんだり
そんな卑しい気持ちと、去年も大丈夫だったし、という慢心で出願した2013年、まさかのケンブリッジ不合格。

2012~2013年は今から思い返しても本当に荒んでた。
2013年くらいから心を入れ替えて2014年度の出願、3度目の挑戦で最後にしようって思っていました。
2013年やっぱり気になって秋口に同じ神社へ…
今度は神主さんの奥様が接待くださって「悩んだらそんやで。全部に意味があるんや。無駄なことなんてなーんもない。」と
心を見透かされているような温かい言葉をくださいました。
その時のおみくじは

おもいかへよ かれよ  神にもたれよ ゆだんすな

思い変えよってことは、あきらめろってこと?と聞いたら「そやない。あきらめるんとはちゃうで、初心に帰れってことや」という言葉とともに上に書いた言葉をくれました。そんなに切羽詰った雰囲気だったのかなぁ(笑)
そして帰り際に

「あ、そや。今月の参拝者全員へのおみくじはな、これや」といってもうひとこと。

大吉しっかりやれ かみのひきたて

という言葉をいただきました。
なんだかトンっと背中を押してくれたような気がして、だいぶ楽になりました。

今もすっごく悩んでて、一時帰国したときにいければよかったのだけどいけず。
その代り、違うところで引いたおみくじを今よりどころにしています。
これは普通のおみくじ。ありがたいことに大吉でした。

わがおもう 港も近く なりにけり
  ふくや 追手の かぜの まにまに

学問:安心して勉学せよ

という内容。だからとりあえず、頑張って勉強するしかないのでしょう。

おみくじを引く前に、神様におたずねしたいことを簡潔に述べてから引くとそれにあった内容のおみくじが来ます。
すごく不思議なのですが、これだけは事実なので助かってます。