日々是好日。

つれづれなるまゝに、日ぐらし画面に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

信用と信頼

好きなアニメの一つにムーミンがあります。

確かスナフキンの旅立ちだったか…いや、彼が戻ってくる話だったかなぁ…
とりあえず、スナフキンの旅路での話。

旅路の途中、キャンプを張っていたときにどこからか野良動物が来て、
ムーミンの世界は妖精の世界だから(そう、ムーミンはカバではありません。スニフもカンガルーじゃない!)
なんの生物かはわからないけど、ウサギとネズミを足したような…

まあその動物がスナフキンと近づきたくていろいろ話しかけるけど
スナフキンはとんと興味がない。その動物はスナフキンのことをいたく尊敬していて名前を付けてくれと、
尊敬のまなざし全開で懇願。
その時スナフキンが放った

「崇拝しすぎたら、本当の自由は得られない」という趣旨の言葉

当時、出身校から干されて燻っていた自分にスッと入ってくるセリフだった。
実は小さいころからムーミンが好きすぎて、それこそ何十回と見たり、読んだりしていたので
内容は全部知っているのだけど、あの時の衝撃は今でも忘れない。

○○先生がこうおっしゃったから、
××先生に伺ってから…

そんな自分に自由なんてなかったなぁって思えた。
研究者を目指すときに
「この人となら(研究で)心中できると思う人」を指導教員にしなさい。
と言われました。

だからそれで選んだ
でも「(研究で)心中できる人」と
「盲目に崇拝する人」って違うんだよね。本当は…

研究で心中できるって言うのは上下関係ではなく、対等関係なのだと思う。
それを日本の修士の2年間ははき違えていた。
いや、あの大学がそういう空気を出していたのかもしれない。

少なくとも当時の指導教員は(結局何も助けてはくれなかったけれど)未だに恨んではいない
そして彼と(研究で)心中するつもりはまだあります。

他の先生方は…?
隠れて私の研究内容横取りしたりしてくれてる。
そんな人たちをなぜあれほど信用して
あれほど頼りまくっていたのか…

今となっては謎すぎて笑えてくる。
もういいよ、あの研究はあなたたちにあげる。
煮るなり焼くなり好きにしたら?
基礎は、根幹の思想は私の中にあるもの。
そこには事実しか書いてない
本質はいれなかったんだよ。
だからそんなのあってもなくても一緒。

本質は私が持ってるから
私はもっともっと自分のやりたいことをやるんだ。

尻尾振って、従順にすべての手の内を見せていた
無邪気な私はもういないんだよ
いつまでもあなたたちに都合のいい捨て駒でいる必要はない

信用するか信用しないか
信頼に値する人物かそうでないか

それを決めるのは自分自身
むやみに崇拝するのではなくて、見極める力
だれに研究の内容を見せるか
本質を語るか
そこを考え直さないといけない